コーヒーを趣味にして「みんなちがって みんないい」の意味が理解できた

コーヒー 趣味

 

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どーも、コーヒー大好きIndoです。

 

コーヒーを趣味にしてから、「みんなちがってみんないい」という、あまりにも有名な言葉について、本当の意味で理解できました。

 

自分にとっては、とても新鮮で価値のあることだったので、改めて振り返ってみたいと思い、この記事を書きます。

 


 

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今までの考え方

 

今までの考え方は、「勝ち負け」が根底にありました。

 

Indoは、小学校から大学までサッカーをやってきました。

サッカーはスポーツなので、やはり勝ち負けの世界です。

 

レギュラーを取るにも、「誰かより選ばれる存在にならなければ」という競争があり、当たり前だと思っていました。

 

社会人になってからもその考えはあって、同期の誰よりも優秀でいたい、という気持ちを、口には出しませんでしたが、持っていました。

 

そんな気持ちでコーヒー教室に通い始めたので、「このクラスの誰よりも美味しいコーヒーを淹れられるようになってやる!」と、勝ち負けを考えていました。

 

 

 

コーヒー教室で考え方が変わる出来事が起きた

 

クラスの初期は、みんな淹れ方が下手だったので、そんな中、自分の淹れたコーヒーがマスターに「美味しいねーこれ」と言われると、すごい嬉しかったのを覚えています。

 

これは、誰かに勝ちたい、とか、クラスメイトよりよく見られたい、みたいな「勝ち負け」の考え方で考えていました。

 

ただ、何回も何回も抽出を経験し、抽出のレベルがクラス全員で一定レベルまで達すると、みんな「いい」コーヒーを抽出できるようになり、マスターがこれがおいしい、と褒めることは無くなりました。

(いいコーヒーとは、雑味がなくコーヒーのうまみ成分のみをカップに抽出しているもの)

 

そして、なぜかとあるクラスメイトの淹れるコーヒーが「いつもおいしいなー」と感じるようになり、ちょっと悔しくなりました。

 

でも、そのコーヒーをおいしい、と感じているのはIndoだけで、他の方々は別の方のコーヒーが好みだったり、様々でした。

  

なんでだ?と考えたときに、マスターが常々言っていた、「誰もがおいしいと思うコーヒーはない」の意味を、本当に理解しました。

 

これを機に、「あの人のコーヒーを超えたい!」という「勝ち負け」について考えることがなくなり、「あの人はあの人、自分は自分」と考えられるようになり、「みんな違ってみんないいって、こういうことなんだー」と腹落ちしました。


 

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コーヒーは奥が深くて懐も深い 

 

コーヒーはたくさんのこだわりのポイントや歴史的背景があり、奥が深いです。

 

それだけではなく、「懐も深い」と感じます。

 

コーヒーには本当にたくさんの風味があります。

そして、それぞれの風味を好んで飲む人がいます。

 

そのすべての人を受け入れて認めてしまうことができる飲み物がコーヒーです。

 

自分も、そういう懐の深さを持ちたいです。

 

 

 

素敵なコーヒーライフを。

 

 

 

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